昔、何もできない魔法使いがいました。
偉い魔法使い達から見れば、その何もできない魔法使いは、取るに足らない存在でした。
ある所に病気の子どもがいました。
偉い魔法使いは、書斎にこもって治療法の書かれた本を探しました。
別の偉い魔法使いは大鍋を用意して、ぶつぶつ呪文を唱えながら、いろいろな薬を調合した。
でも、何もできない魔法使いは、何もできなかったので、じっとその子供のそばに寄り添い、苦しむ子どもの手を握り、一緒に汗を流していました。
やがて、治った子どもを見て、偉い魔法使いたちは「お前のではなく自分の術が効いたのだ」とけんかを始めました。
その子どもは自分の手を握ってくれた人を探したけれど、何もできなかった魔法使いは、自分を恥じてもう姿を消していました。
……終わり。
寄り添う力である愛は、どんな薬や、どんな方法よりも、力強い助けなのかも知れません。
「頑張って!」と励ますことは、何もしないより素晴らしい。
でも、それは自分は関与しなくてすむし、後は、やったかやらないかで結果は、本人任せ。
結果がどうなろうと、励ませば、そこで自分の役割は終えた感があるもの。
「支える」は、相手を信じきれない気持ちがどこかにあるもの。
なので、自分がいなければダメと言った上下関係や、ともすれば依存さえも生みがち。
「寄り添う」とは、相手を信じること。
励ますでも、支えるでもなく寄り添う。
そこに、本当の愛があるような気がします。
3.11を迎えるたびに、そんな想いが脳裏をよぎります。
今日という日は、若くして逝ってしまった誰かにすれば、きっと生きたくても叶わなかった一日。
今日は、決して当たり前に来るものではなく、奇跡の一日と思って、大切に過ごしたいですネ?
では、今日もステキな一日を♡