弊社で販売している原子状炭素について、愛用者の方からよく聞かれる声は、
「なぜ、こんなスゴい商品なのに、もっとPRされないのですか?」
「東京大学の学術論文をはじめ、末期ガン患者が500人近く完治された臨床データもあるなら、ちゃんと医薬品の認可を受けて大々的に販売されてはいかがですか?」
「しかも、100人以上の現役ドクターが自ら愛飲されており、実際にクリニックで薦めてるガン専門医も多いのなら、年間百万人以上が新規に発症してるガン撲滅のため、もっとPRしませんか?」…
確かに毎日、こうした声を聞きます。
もちろん5%の人に効けば、もう立派な医薬品として認められることも分かってます。
でも、私には「病気というものの本質への理解があってこその完治」と言う曲げられない信念があります。
どう言うことかと、言うと、
病気とは、「その生き方、その考え方、あるいはそのライフスタイルは間違っているよ。自分らしくないよ」と言う、体の声の現れだと思っています。
なので、それはある意味「神様が与えた気づきのサイン」
なので「それに気づけば、病気と言うものは、誰でも自力で治せるもの」と言った思いがあります。
裏を返せば、「せっかく、神様が気づきを与えるためにもたらした試練を、第三者の私が、このお水を勧めて勝手に治してしまっては、それこそ神の意に反する傲慢な行為ではないか?」と言ったジレンマがあるわけです。
例えばガンにかかった。
私は悪くない。何で私がこんな目に。ツイていない!
医者よ、何とかしてくれ!
なに?素晴らしい水がある?それ飲ませろ!
ホントだ、飲んだら治った!
といった他力本願では、せっかく病気にかかった意味が無くなるわけです。
そうではなく、
なぜ、私はガンになったのだろう?
その原因は、いったい何なんだろう?
といった自分を見つめる時間こそが一番大切なのではないかと思っています。
そしてそこで、意識の変容や生き方の見直しや、自分を大切にする価値観の変化などがあって初めて、治癒へと繋がる流れ。
この一番大切なプロセスを無視し、単に「飲めば治る」と言う医薬品として原子状炭素を氾濫させてしまっては、「当人の気づきの機会を奪う」ことにもなってしまいます。
例えば、ガンにしても、かかる人の特徴は、
①心配や不安など、頭の中がネガティブな思考で溢れている人
②潔癖症、非常に細かい。
③傲慢、負けず嫌い、人と比べる競争心の高い人
④自分を大切にしない自己犠牲の、いわゆるいい人。
⑤心からの感謝ができない人。見えないものを信じない人
が、ベスト5です。
治す方法よりも、その原因に気づくことの方が大切ですよネ?
昨日は、石川の白山比咩神社に参拝してきました。
引いたオミクジは、
「仕事は、このまま行けば爆発的に商売繁盛になるであろう。だが、一気に拡大させてはならぬ。その仕事を行う本質的な使命と意味を忘れずに、敢えて手を広げず地道な道を選べ!」でした。
これからも、この本質は忘れず「顧客の方々が病気を通して自分と向き合うプロセス」を一番大切にしながら、仕事をしていきたいなと改めて思う朝です。
では、皆さん、今週もステキな一週間を♡