私の少年時代、ノーベル賞と言えば、1949年に日本人として初めて受賞された湯川秀樹博士でした。
そして、その16年後の朝永振一郎博士、
次いで、川端康成さん、江崎玲於奈博士と、
5年に一人くらいのペースで誕生してましたが…
2010年以降は、毎年のように日本人受賞者が生まれるものだから、年のせいか、覚えられなくなりました(笑)
でも私の中でノーベル賞と言えば、やはり湯川秀樹博士。
少年時代、湯川博士が受賞された中間子理論には、さっぱり興味は湧かなかったのですが、博士が言われた
「朝方の夢に中間子が出てきたので、それを寝ぼけまなこで書き留めて三枚のレポートにしたら、受賞してしまった」との発言には、引き込まれました。
湯川博士は、毎晩、寝る時にベッドの横に紙と鉛筆を置いて、朝方に夢を書き留めることをされてました。
そして、ノーベル賞受賞後の湯川博士の最後の論文である「素領域理論」には、衝撃を受けました。
いわゆる神の存在、人智を超えた全能の意思の存在を認めたものであり、ニュートン以上の画期的な発見と言われたにもかかわらず、一般には支持されなかったのは残念でした…
素領域とは、まさに絶対的な全知全能を司る神の領域。それは、私たちの生きる三次元とは別に存在しており、その絶対調和の世界に、アクセスさえすれば、誰でも無限の叡智を受け取れるとしたもの。
その後はアカシックレコードなどとも言われてます。
まさに、湯川博士が、それを受け取ったからノーベル賞を受賞された訳なのですが、神の存在を認めることに、当時の学会は抵抗が強かったようです。
私も、天才と名の付く方々を訪ねまくって、何故、そんなスゴいことを発見したり、思いつかれたのですが?と聞いて回っても、ほぼ100%「降りてきた」と一様に答えられます。
じゃあ、「どんな時に降りてきたのですか?」と聞くと、これまた「頭が空っぽのとき」に、「ふと」なんですね。
頭から一切の思考が消えた「ふと」した瞬間の状態。
これこそが、神と繋がる瞬間。
人生が、上手く行かない人ほど、頭の中は、
「あれ、どーしよ?」
「あれ、いやだな」
「あれもしなきゃ」
「私って、なんでこーなの?」
「あの人ったら、なんでこうなの?」とか、
もう思考まみれ。
禅の世界には「激竹の悟り」と言う言葉があります。
悟りを開く瞬間は、悟りについて考えていても一生来ないが、
目の前の掃除に我を忘れて、一心不乱にやっている時に、突然、ポンと分かると言う意味です。
その瞬間、人は全ての悩みが消え失せ、永遠の至福と幸福感に満たされるそうですヨ。
悟りを開く人、天才と名を残す人、とんでもないものを考えついた天才起業家。
会えば、みんな「何も考えてないような無邪気なお子様気質」
誰も、悩みなんてありません。
いや、正確には「何があろうと悩まない」だけ。
病気も、貧乏も、批判も、孤独も、別れも、全てを受け入れ、それを楽しむことに徹しているから。
さあ、皆さん、この世は悩んだって始まりません。
全ては、天にお任せで、今ここを楽しみましょうね。
では、今週もステキな一週間を♡