私が今、目指しているのは、
誰もが百歳まで、ピンピン元気で、
何がしかの仕事を通じて生きがいと居場所があり、
自分も社会に貢献できてるんだと実感できる世の中。
そして、死を迎えるその直前まで、薬入らず・医者いらずの健康なままでいられる未来の実現です。
では、どうすれば、それができるのか?
もちろん厚生労働省にずっと在籍したままじゃ、これは絶対できないなって思いました。
今の医療経済システムでは、お医者さんや製薬業界が食べていけなくなるほど、国民が元気になり過ぎちゃう政策は、絶対にNGなんですネ(笑)
なので、心身の健康や環境に関わっている、トンでもレベルの達人さん達とともに知恵を絞りながら、密かに、皆んなが病気にならないような環境作りを進めています。
そうしたなか、実は、かねてから問題意識を持っていた、ある事について調べてみたんです。
それは、医者から見放されるほどの大病を患いながら、奇跡の復活を遂げた人達に共通していることはいったい何か?
そこで大きな事に気づきました。
それは、患者さんの意識の変容。
一言で言えば
「心の底から泉のように湧いてくる感謝の意識」の芽生え。
様々な取材や調査から導き出されたキーワードは、これだったんです。
今まで、お茶ひとつ出されても、
「やれ、ぬるい!」だなんだと、やたら文句の多かった頑固ジジイのような人達が、
どうにもならない病気を体験して、
「お茶を入れてくれる人がそばにいることが、どれだけ有難いことか」ハッと気づき、
「この世界は、何て感謝に溢れた素晴らしいものだったのか」と、分かった途端に、
病気がウソのように消えていく。
実は、これが不治の病から、奇跡の回復を果たす人達に共通する鉄板パターンだったんです。
かたや「何で私がこんな目に!」と、最後まで被害者意識でいる人は、もちろん、不治の病と言われてるレベルなので、まず助かりません。
そう思うと、病気って、そんな悪いものじゃなく、神様が大いなる気づきを得れるチャンスとして与えてくれた試練のようにも思えませんか?
この朝のブログでも何度も触れてるとおり、感謝のエネルギーこそ、最高の波動値を示す、一番尊い意識。
同じことが起きても、そこで不平や不満や怒りや愚痴の感情を選択するのか、感謝の感情を選択するかも、全て個人の自由なんです。選ぶのは自分。
どうせなら24時間、感謝の感情を選択しながら、今日も穏やかに過ごしたいですよね?
では、今週もステキな週末を♡