入学式が終わったばかりの、とある中学校。
一年生の教室の中での1コマです。
担任の先生の自己紹介が始まったところで、一人の男子生徒が、突然立ち上がり、隣に座っていた女子生徒に向かって、バケツの水を頭からぶっかけました。
女子生徒は、ただただ泣きじゃくり、
男子生徒は先生から「なんで、そんな事をするんだ!?」と叱られても、ずっと押し黙ったまま。
結局、その男子生徒は、卒業するまでの3年間、何度聞かれても「何故、隣の女子生徒にバケツの水をぶっかけたのか」について、答えないまま卒業していきました。
そして、卒業後、数年経って、街で偶然、その時の担任の先生と男の子がバッタリ再会します。
先生は、話しかけました。
「もう、君も卒業して数年経った。そろそろ、あの時、何であの子に水をかけたのか話してくれないか?」
すると男の子は、しばらく押し黙ったまま遠くを見つめながら、涙声で答えました。
男子「先生、この話は、絶対に誰にも言わないと約束してくれるなら、話します」
先生「わかった。約束する。じゃあ何であんなことをしたんだ?」
男子「実は、あの女の子は、小学校の時からよく知ってる子で、極度に緊張してしまう子だったんです。
「あの日も入学式を終え、知らない人が多い中で、先生の話を聞いていて、彼女は、緊張が限界に達したのか、お漏らしをしてしまったんです。」
「僕だけが、イスの下にしたたる彼女のオシッコに気付いたものだから、これがバレれば、もう彼女の中学三年間は終わってしまうと思い、咄嗟に教室の後ろに置いてあった掃除用バケツの水を彼女の頭からぶっかけて、カムフラージュしたんです」
先生「お前は、彼女のために、ずっとそれを三年間も黙り通したのか?自分がとんでもない生徒と言うレッテルを貼られまでも…」と絶句。
そう言って、先生はその生徒を抱きしめ、二人で号泣したそうです。
この話は実話なので、ご存知の方も多いかも知れませんが、私もこの話を聞いたとき、自分のこれまでの人生と重なり、泣けてきました。
思えば、私も小学校の頃から、これまで、ずっとこんな生き方をしてきました。
誰かをかばうために、誰かを助けるために、いつも自分が、身代わりになったり、濡れ衣を潔く背負ってあげたり…
さすがに、私も週刊ポストの巻頭カラーページに自分が載って、世間から叩かれたときに、親が泣く姿を見るのは、辛かったです。
お前は、なぜ、自分がやってないと!正直に言わずに、わざわざ人の濡れ衣を背負うんだ!と、母親に嗚咽を漏らされたり…
でも、それでも将来を嘱望されていた優秀な仲間をかばうことが出来て、本当に良かったなって、今も思ってます。
それがあったからこそ、私が当時かばった彼も、今や推しも押されぬ日本を背負って立つリーダーの一人として大活躍中。
そして、ホントに摩訶不思議なのですが、こうして誰かを救うと、将来何万倍にもなって、自分の所に幸運が返ってくるんです。
逆に、その女の子のことにせよ、「先生、この子がオシッコをもらしたから水をかけました」と、言ってたとしたら、彼女の中学生活は、惨めで見ていられず、彼も一生、心に罪悪感と言う十字架を背負って生きてたのかも知れません。
誰かを救い、誰かのために生きるって、ホントはとっても幸せなこと。
今や、学校では、イジメの加害者が悪いだ、学校が悪いだと、そんなつまらない責任問題の報道ばかりしてますが、こんなお話をマスコミは、もっと伝えて欲しいなって思っちゃいます。
誰かのために生きる。
これぞ、活力がみなぎり、幸せに生きれる王道。
今日も、皆さん是非そんな風に、誰かのために生きる…そんなステキな一日をお過ごしくださいネ。